君との出逢いは宝物 (2001年4月16日 第87号)

親愛なる君へ

「あたしたちは、どうして出逢ったんだろう・・・」
こんなことを考えた日はありませんか?

ある英会話のコマーシャルで
「英語を話せると○億人と友達になれる」
・・・と言っているのを聞いたんだ。

事実だけどムリだなって。

1人1時間話して友達になったとして
1日10人程度。
1年で3650人。
100年ぶっ続けで話したって36万5千人。

中堅都市の人口程度なんだよね。

でも・・・
出逢いの幅が広がるという意味で
僕も外国語を話せたらいいなぁと思うんだ。

いろいろな出逢いがある。
学校や職場。
紹介やお見合い。
インターネット。

僕は全部「偶然」だって思っている。
そこで出逢ったのは「たまたま」なんだ。

でも、偶然と必然は紙一重じゃないかな?

偶然をどう捉えるか?

偶然を偶然で終わらせちゃうと
偶然は偶然でしかない。

偶然を必然だと捉えた瞬間から、
人は「必然」の意味を探し始める。
出逢いの意味を考えるようになる・・・。
そう思うんだ。

「あたしたちの出逢いって、何なんだろうね?」

何だろうね。

きっと、何か意味があると思うよ。

それはまだわからない。
神様だけが知っていること・・・
かもしれないけれどね。

P.S.今度、神社へお参りに行ってみよう。
    神様の呼び出し方も・・・教えてあげるからさ。
                                From Martin


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