TVや新聞を鵜呑みしないようにしましょう

TVや新聞の報道を「そのまま鵜呑みにしない」ようにしましょう。

有料メルマガ「マーチン先生の恋愛教室PREMIUM」では時折触れているのですが、「新聞やTVの報道は正しいことだ」という先入観で見ない方が良い、ということです。「それ、おかしいよね」「なんかヘンじゃない?」という話を、正しく聞こえるように誘導していると感じる報道があるのです。今回、疑問を感じるお話がありましたので取り上げたいと思います。

今話題の「鬼滅の刃」に関するお話です。

煉獄さんの自己犠牲はなぜ崇高か 危うさの先にある鬼滅
https://www.asahi.com/articles/ASND62HFKND4UPQJ00C.html

リンク切れに備えて、上記URLの画像を貼ります。
鬼滅の刃記事
<クリックで拡大>

これを見ると、
1.敵である鬼たちの組織は「超絶パワハラ」と悪い印象を与えて、
2.鬼殺隊も「ある意味、大義のための自己犠牲は仕方ないという組織」として同じ印象を与え、
3.そして、自己犠牲を美談にせず防ぐことが大事だ、といった話に展開しています。

これ、話がすり替わっていませんか?

鬼滅の刃は、そんなことをテーマにしているのではありません。もっともらしく聞こえますが、1~3の話は肯定的に言えば、

1.鬼殺隊は、今の日本には見られなくなった「責務、使命」を持った素晴らしいものである。
2.人命を救う、特に「弱きを守る」ことを第一としている。
3.今の日本は個人の自由ばかり尊重されて、責務がないがしろになっている。そこを見直す必要があるのではないか。

となります。僕はまさしくそう捉えているひとりですので、今回の記事はスルーできなかったのです。鬼滅の刃における煉獄さんの話は、「命をかけて自分の責務を全うする、その素晴らしさ」であり、自己犠牲を美しく見せる話ではない のです。

鬼滅のお話を個人的に上記のように捉えたなら、「個人の感じ方の違い」なので、それで良いと思います。ただ、それは新聞にあたかも正論であるかのように載せる話ではなく、個人のブログやツイッターで発信するべきでしょう。僕も自身のサイトだからこそ書いています。「新聞に載る=正しいこと」のように人は、誤解するのですから。これがマスコミの怖いところなのです。

少し脱線しますが、鬼滅の話が「自己犠牲をテーマにしていない」ことは、僕個人が感動したことが証拠だと、僕は思っています。僕は自己犠牲が大嫌いだからです。例えば、これをご覧ください。「2017年4月18日号、恋愛教室PREMIUM」からの抜粋です。


Ω 幸せの守備範囲は二人称まで

一人称は私、俺、自分のこと。二人称は、自分と話をしている「あなた」です。一般には家族、恋人、友人や先輩といった、直接関わりがある人を指します。三人称は、その他の人全員です。

4月15日(土)、僕がリアル恋愛教室に向かおうと駅に行くと、京急線で人身事故が発生して電車が止まっていました。その時は「ああ、またか」くらいにしか思っていなかったのですが、この原因が下記の事故だったのです。

救出中に死亡したのは銀行員の男性 川崎の京急踏切事故
http://www.asahi.com/articles/ASK4J5277K4JULOB00J.html

簡単に内容をまとめますと、
1.踏切が鳴り始めた後に踏切の中に入っていった70代の男性がいた。
2.それを助けに50代の男性が踏切に入り、
3.二人とも電車に巻き込まれて亡くなった。

というお話です。新聞記事を見ますと「勇気をたたえ現場に次々」といった見出しがありますが、僕は……ハッキリ言って「バカ者が!」と思いました。そして、そう言わない新聞記事がヤバイです。まあ、○カとは言えないでしょうが勇気を称えるよりも「もっと他に言うべきことがある」と思うわけです。

2年くらい前でしょうか、同じように巻き込まれて亡くなったお話がありました。その時もメルマガに取り上げ、亡くなった方の家に政治家がお見舞に行って「不思議な対応ですよね」といった話をしたと同時に、「こんなことでは同じ事故が繰り返される」ことを指摘しました。

それがやはり起こったのです。そして「勇気をたたえる」ようでは、また同じことが起こるでしょう。なので、僕はせめて恋愛教室をご覧の皆さんには、お伝えしておきたいのです。「幸せの守備範囲は、二人称まで」です。それ以上の人を、幸せにしようとしないでください。

募金をするとか、ボランティアに行くとか、そういったものは良いですよ。今回のように「命を懸けて」やることではない、ということです。なぜなら「本当に大事な人」を不幸することに繋がりかねないからです。その一例が、今回のようなお話なのです。ザ・人生哲学!なので言わせて頂きますとっ!!

・そもそも、踏切が鳴っているのに入っていく人を、助ける意味はありません。
・そして、赤の他人(三人称)を「命を懸けて」助ける意味はありません。
・それが自分よりも年上の人だったら、尚更助ける意味はありません。

……と、こうなります。今回、もしも小さな子供を助けようとして……という事故だったら、僕もここまでは言いません。「残念なお話だったね」くらいに思います。踏切が鳴っているのがわからない子供で、自分より未来がある人を救おうとしたからです。また、それなら残された家族も、まだ納得が行く面があっただろうと思います。

しかし、今回のお話はご遺族のことを思うと、やるせない気持ちでいっぱいです。

あと、「身の程を知る」ことも大事だと思います。もし、今回そこにいたのがプロレスラーで、70歳の人を「さっ!」と抱えて線路から連れ出したというなら「凄い」と素直に思いますし、「そんな危険なことをしなくても」とも思いません。自分の力量にあったことをしているからです。まあ、それでも失敗する可能性を考えたら「すべきではない」という意見もあると思いますが、今回のお話よりは遥かに納得がいくのです。

…………。

人生哲学は、人の生き方であり、それぞれの意見があるとは思います。でも、僕は「マーチン先生」として、皆さんにこの考え方をお勧めしたいです。厳しい内容ではありますが、幸せになるためには大事なことだと思うのです。

「誰かを愛する」ということは、
「他の誰かを愛さない」ということです。

愛する人を大切にしていきましょう。


このように、僕は自己犠牲には否定的な人間です。また「鬼滅の刃」は赤の他人を救いまくる話ですが、

> 赤の他人(三人称)を「命を懸けて」助ける意味はありません。「幸せの守備範囲は、二人称まで」です。それ以上の人を、幸せにしようとしないでください。

と言っている僕が感銘を受けたのは、そこがテーマではないし、自己犠牲をテーマにしたものでもないからです。前述したように、これも「僕個人の感じ方」です。だからこれを皆さんに強制するつもりはありません。僕のお話も「マーチン先生の話だから、正しいはずだ」という先入観で見ずに、皆さん自身が考えて受け止めて頂けたらと思っています。

最後にもう一度。TVや新聞の報道を「そのまま鵜呑みにしない」ようにしましょう。「新聞やTVの報道は正しいことだ」という先入観で見ず、聞かず。それが本当に正しいのか、真偽は不明なのか、自分の頭で考えて受け止めましょう。

P.S.
恋愛における「お相手の発言」も同じですよ(^^;
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